2012年 03月 31日
大原番外編 : おとうさんといっしょ |
「夫きょうも帰らず」ばなしを毎日していてもしょうがないので(昨晩帰ってきました!)、ここでちょっと閑話休題。
大原の母が入院していた時に、父と二人で過ごした数日間のことを。
母の心配で心落ち着かない日々ではあったんだけど、これはこれで、ちょっと面白い時間でもあったので、書き残しておこうと。
初日。母は入院するつもりはなかったので、夕飯のこまごまとした下ごしらえがしてあった。
何と何を作るつもりだった、というのを電話で聞いて、父が帰宅する前に用意しておいた。
ガス台に一つ置いてあった土鍋のふたを開けてみると、ほんの少し掬った形跡があるだけのおかゆが残っていて切ない・・
ほうれん草としめじは軽く茹でて冷蔵庫にあった。それをバター炒めにして
自然解凍中だったサクのヒラメをムニエルに
タラと豆腐も用意してあったので、そのまま湯豆腐に(アクを取りましょう・・)
夕飯の足しにしてもらおうと私が買ってきていた巻き寿司や母の好物の卵焼き
父が帰ってきて、前日に母がフラフラになりながら作っていたローストビーフを出してくれた
とーさん、ソースはそんなのっぺり塗らんでも・・・
そして数日、二人で、毎日病院へ。
車で片道40分の道のりを往復。
聞いたことなかった、昔の仕事のピンチの時の話とか聞いて、なかなか面白かった。
英語できないのにアメリカ長期出張を何度も命ぜられ、必死でマンツーマンレッスンに通った時のこととか。新しい事業の立ち上げを任されて、何もないところから必死でやったこととか。今のうちの夫と同じように、お正月でもお盆でも呼び出されて、何日も寝ないで障害対応した時のこととか。はたまた、部下が起こした情けな~い猥褻系トラブルの収拾とか(笑
病院はとても大きくて、いろんな形式のお食事処がある。この日のお昼は、最上階にある洋食から和食まで一通りある家族食堂のようなところへ。
心がへなへなに折れそうなほど心配なのに、ふつうに食欲のある自分が不思議でならない。母が食べられなかったお昼の病院食もこっそり食べた上、ドデカ天丼ペロリ。
おいしくいただきました
海の青さがまぶしい・・・
ウォーキングの時にちょうどいいんじゃないかなとStudio Clipのセールの時に買っておいた布のミニバッグ。入院中、検査などの移動時とかに使えるんじゃないかと持っていく。
暖かくなる頃、良くなってまたウォーキングの時に使えるように祈りながら。
そして帰宅して、夕飯。
さつま揚げと、まだ畑のほうれん草がたくさんあるので、醤油炒めにしたら、といわれたので
ふだん母が使う器で、同じ料理を盛っても、風情が違う・・・私は食材をあるだけ使ってしまうので出来上がりがてんこもりになってしまう。これ、ほうれん草、売ってる一束より多い量だった。でもぜんぶ食べてしまった。
日々、ローストビーフ。そして父が漬けてる白菜漬け。
母が作ったクリームソースがなくなったのでローストビーフはわさび醤油で。西洋わさびがなくても、私は普通のわさび醤油もさっぱりしてて好き。
いつもストッカー(冷凍庫)に買い置きしてあるいわしの丸干し。
母も私も認めるところで、父のお味噌汁はとてもおいしい。だしが濃いのだ。
大根と油揚げ。
朝ごはんも、毎朝、卵を焼いてコーヒーを入れてくれた。
コーヒーはブレンディのドリップパックだけど、なんだかとてもおいしかった。
夫実家のお父さんもブレンディの粉でコーヒーメーカーで入れてくれるんだけど、それもいつもとてもおいしい。私が結婚前、友達を家に招いた時にたまたまコーヒー豆を切らしていて、ブレンディのドリップパックで入れて出したら、「このコーヒー超おいしい!どこの豆?」と感動されたことがある。(返答はごまかした)
どうやら、人が入れてくれるブレンディはなぜか非常においしいらしい、という結論。
・・・・・・・・
本当は、今回、両親と南房総のお花畑に行く予定だった。ところがとんだ顛末になってしまったので、病院から一番近いお花畑に行って、毎年恒例、夫実家へ送る花の手配だけした。お義母さんがとても喜んでくれるのだ。「早く春が来たみたい~」と。
この日のお昼は、お花畑からの帰り、病院のちょっと先にあるイタリアンに行った
(ここは母も好きなお店。この数週間後、退院した帰りに一緒に入った。久しぶりのシャバの食べ物。ポタージュを少し飲んで、「こんなにおいしいものがあるなんて」といっていた)
平日のランチはフォカッチャ食べ放題。
父はいつ来ても、トマトソースのシンプルなスパゲッティ。ピザもおいしいので私が取ってシェア。きのことミニトマトのピザ。
作家の村山由佳さんの地元なので、村山さんの一通りの本が置いてある。このお店が掲載されたグルメ本などもあったので、ぱらぱらと眺める。
午後また少し病室で過ごし、夕方、そろそろ母が用意していた食材もなくなってきたので、買い物をして帰った。
父の献立。コロッケ、まぐろ、ごま豆腐(笑)
私は性格も嗜好も父によく似ている。出来合いですぐ食べられるものをいくつか買った場合のセンスもどこか相通じるものがある。組み合わせはアレだけど、全部「グッジョブ!」なセレクト。
几帳面なところは似なくて、私はこんな風にお刺身のツマを切ることはできない。
母が「貝柱があるから、ほうれん草とソテーにしたら」と教えてくれたので私が一品だけ担当。
盛り付けの仕方も聞いたんだけど、なんか違うだろうなと思う。
本日の味噌汁はかぶ。父のお味噌汁は根菜系が特においしい。
しかし目玉焼きは
私はもうちょっと柔らかいのが好みなんです、お父さん。(自分で焼け!)
そして父は、母や私が一番好まない、この柄モノのウェッジウッドで毎朝コーヒーを出してくれた。男の人って意外と、家のものは花柄とか華やかなものけっこう好きですよね。うちの夫もそう。父も夫も自分の装いは超・地味なのに・・・・
いろんなとこにちょこちょこ生けてある花。これも母が生けていったもの。
2年前くらいの初夏に二人で鎌倉に行った時にふと出会って買った一輪挿しにさしてあった。
この日、病院に行ってそのまま私は帰京。
ふだんは、小言が多い母に辟易することもある父だけど、「寂しいもんだねえ」を連発していた。(そういえば、今年のお正月の、神戸の夫母もそうだった)
ほんとうに、早く良くなるといいね。他に悪いところもないといいね。
そう願いながら大原を後に。
・・・・・・・・・・・・・・
父は今でこそ社会的ストレスのない暮らしをしているせいか、よく話をするけれど、会社勤め時代は、家ではあまり口を利かない人だった。だから、父から言葉で直接受けた教育的なことってあまりないんだけど、たった一つだけ、今でも私の毎日の中で生きている教えがある。
20代の終わり、とあるきっかけから精神的に落ち込んでちょっと危機的状況に陥った時、会社が引けた後どうしても自分一人きりの家に帰る気にならなくて、毎日のように特急で大原の家に行っていたことがある。そして朝、始発の快速が出る、大原より一つ東京寄りの駅まで父に車で送ってもらい、6時台の快速に乗って会社へ行った。
快速での出勤は、2時間以上かかる。その日々にも疲れて、ある日、「今日もう休んじゃいたいなあ」と言ったら、毎朝早くに送るのも大変だったであろう父が、言葉は忘れてしまったけど、「どういう状態でも、いつも通りに決まった時間通りの生活を続けていればなんとかなる。そこを崩してしまうとガタガタになるから」と、休むことを許さなかった。
こういう時、母は「休んじゃえ休んじゃえ」というタイプ(笑)。私はこれにも救われることが多かったし、大好きな対応なのだが(「やっちゃえやっちゃえ」と言われると人間って、気持ちが軽くなって案外そうはしないものなんですね)、この時の父の言ったことは胸に残った。結果、私はこの期間ほとんど会社を休むことなく、いつの間にか悪い状況を脱することができていた。
今も、とりあえず、できるかぎり規則正しくいつも通りに暮らしていれば何とかなることは多いと日々感じている。その節は、どうもありがとうございました・・・
そして、ここまで、だらだら記事にお付き合いくださった皆様、ありがとうございました(笑
大原の母が入院していた時に、父と二人で過ごした数日間のことを。
母の心配で心落ち着かない日々ではあったんだけど、これはこれで、ちょっと面白い時間でもあったので、書き残しておこうと。
初日。母は入院するつもりはなかったので、夕飯のこまごまとした下ごしらえがしてあった。
何と何を作るつもりだった、というのを電話で聞いて、父が帰宅する前に用意しておいた。
ガス台に一つ置いてあった土鍋のふたを開けてみると、ほんの少し掬った形跡があるだけのおかゆが残っていて切ない・・
ほうれん草としめじは軽く茹でて冷蔵庫にあった。それをバター炒めにして
自然解凍中だったサクのヒラメをムニエルに
タラと豆腐も用意してあったので、そのまま湯豆腐に(アクを取りましょう・・)
夕飯の足しにしてもらおうと私が買ってきていた巻き寿司や母の好物の卵焼き
父が帰ってきて、前日に母がフラフラになりながら作っていたローストビーフを出してくれた
とーさん、ソースはそんなのっぺり塗らんでも・・・
そして数日、二人で、毎日病院へ。
車で片道40分の道のりを往復。
聞いたことなかった、昔の仕事のピンチの時の話とか聞いて、なかなか面白かった。
英語できないのにアメリカ長期出張を何度も命ぜられ、必死でマンツーマンレッスンに通った時のこととか。新しい事業の立ち上げを任されて、何もないところから必死でやったこととか。今のうちの夫と同じように、お正月でもお盆でも呼び出されて、何日も寝ないで障害対応した時のこととか。はたまた、部下が起こした情けな~い猥褻系トラブルの収拾とか(笑
病院はとても大きくて、いろんな形式のお食事処がある。この日のお昼は、最上階にある洋食から和食まで一通りある家族食堂のようなところへ。
心がへなへなに折れそうなほど心配なのに、ふつうに食欲のある自分が不思議でならない。母が食べられなかったお昼の病院食もこっそり食べた上、ドデカ天丼ペロリ。
おいしくいただきました
海の青さがまぶしい・・・
ウォーキングの時にちょうどいいんじゃないかなとStudio Clipのセールの時に買っておいた布のミニバッグ。入院中、検査などの移動時とかに使えるんじゃないかと持っていく。
暖かくなる頃、良くなってまたウォーキングの時に使えるように祈りながら。
そして帰宅して、夕飯。
さつま揚げと、まだ畑のほうれん草がたくさんあるので、醤油炒めにしたら、といわれたので
ふだん母が使う器で、同じ料理を盛っても、風情が違う・・・私は食材をあるだけ使ってしまうので出来上がりがてんこもりになってしまう。これ、ほうれん草、売ってる一束より多い量だった。でもぜんぶ食べてしまった。
日々、ローストビーフ。そして父が漬けてる白菜漬け。
母が作ったクリームソースがなくなったのでローストビーフはわさび醤油で。西洋わさびがなくても、私は普通のわさび醤油もさっぱりしてて好き。
いつもストッカー(冷凍庫)に買い置きしてあるいわしの丸干し。
母も私も認めるところで、父のお味噌汁はとてもおいしい。だしが濃いのだ。
大根と油揚げ。
朝ごはんも、毎朝、卵を焼いてコーヒーを入れてくれた。
コーヒーはブレンディのドリップパックだけど、なんだかとてもおいしかった。
夫実家のお父さんもブレンディの粉でコーヒーメーカーで入れてくれるんだけど、それもいつもとてもおいしい。私が結婚前、友達を家に招いた時にたまたまコーヒー豆を切らしていて、ブレンディのドリップパックで入れて出したら、「このコーヒー超おいしい!どこの豆?」と感動されたことがある。(返答はごまかした)
どうやら、人が入れてくれるブレンディはなぜか非常においしいらしい、という結論。
・・・・・・・・
本当は、今回、両親と南房総のお花畑に行く予定だった。ところがとんだ顛末になってしまったので、病院から一番近いお花畑に行って、毎年恒例、夫実家へ送る花の手配だけした。お義母さんがとても喜んでくれるのだ。「早く春が来たみたい~」と。
この日のお昼は、お花畑からの帰り、病院のちょっと先にあるイタリアンに行った
(ここは母も好きなお店。この数週間後、退院した帰りに一緒に入った。久しぶりのシャバの食べ物。ポタージュを少し飲んで、「こんなにおいしいものがあるなんて」といっていた)
平日のランチはフォカッチャ食べ放題。
父はいつ来ても、トマトソースのシンプルなスパゲッティ。ピザもおいしいので私が取ってシェア。きのことミニトマトのピザ。
作家の村山由佳さんの地元なので、村山さんの一通りの本が置いてある。このお店が掲載されたグルメ本などもあったので、ぱらぱらと眺める。
午後また少し病室で過ごし、夕方、そろそろ母が用意していた食材もなくなってきたので、買い物をして帰った。
父の献立。コロッケ、まぐろ、ごま豆腐(笑)
私は性格も嗜好も父によく似ている。出来合いですぐ食べられるものをいくつか買った場合のセンスもどこか相通じるものがある。組み合わせはアレだけど、全部「グッジョブ!」なセレクト。
几帳面なところは似なくて、私はこんな風にお刺身のツマを切ることはできない。
母が「貝柱があるから、ほうれん草とソテーにしたら」と教えてくれたので私が一品だけ担当。
盛り付けの仕方も聞いたんだけど、なんか違うだろうなと思う。
本日の味噌汁はかぶ。父のお味噌汁は根菜系が特においしい。
しかし目玉焼きは
私はもうちょっと柔らかいのが好みなんです、お父さん。(自分で焼け!)
そして父は、母や私が一番好まない、この柄モノのウェッジウッドで毎朝コーヒーを出してくれた。男の人って意外と、家のものは花柄とか華やかなものけっこう好きですよね。うちの夫もそう。父も夫も自分の装いは超・地味なのに・・・・
いろんなとこにちょこちょこ生けてある花。これも母が生けていったもの。
2年前くらいの初夏に二人で鎌倉に行った時にふと出会って買った一輪挿しにさしてあった。
この日、病院に行ってそのまま私は帰京。
ふだんは、小言が多い母に辟易することもある父だけど、「寂しいもんだねえ」を連発していた。(そういえば、今年のお正月の、神戸の夫母もそうだった)
ほんとうに、早く良くなるといいね。他に悪いところもないといいね。
そう願いながら大原を後に。
・・・・・・・・・・・・・・
父は今でこそ社会的ストレスのない暮らしをしているせいか、よく話をするけれど、会社勤め時代は、家ではあまり口を利かない人だった。だから、父から言葉で直接受けた教育的なことってあまりないんだけど、たった一つだけ、今でも私の毎日の中で生きている教えがある。
20代の終わり、とあるきっかけから精神的に落ち込んでちょっと危機的状況に陥った時、会社が引けた後どうしても自分一人きりの家に帰る気にならなくて、毎日のように特急で大原の家に行っていたことがある。そして朝、始発の快速が出る、大原より一つ東京寄りの駅まで父に車で送ってもらい、6時台の快速に乗って会社へ行った。
快速での出勤は、2時間以上かかる。その日々にも疲れて、ある日、「今日もう休んじゃいたいなあ」と言ったら、毎朝早くに送るのも大変だったであろう父が、言葉は忘れてしまったけど、「どういう状態でも、いつも通りに決まった時間通りの生活を続けていればなんとかなる。そこを崩してしまうとガタガタになるから」と、休むことを許さなかった。
こういう時、母は「休んじゃえ休んじゃえ」というタイプ(笑)。私はこれにも救われることが多かったし、大好きな対応なのだが(「やっちゃえやっちゃえ」と言われると人間って、気持ちが軽くなって案外そうはしないものなんですね)、この時の父の言ったことは胸に残った。結果、私はこの期間ほとんど会社を休むことなく、いつの間にか悪い状況を脱することができていた。
今も、とりあえず、できるかぎり規則正しくいつも通りに暮らしていれば何とかなることは多いと日々感じている。その節は、どうもありがとうございました・・・
そして、ここまで、だらだら記事にお付き合いくださった皆様、ありがとうございました(笑
by branchette
| 2012-03-31 13:29
| 里の家から